炭鉱閉山後に市営分譲で払い下げられ、炭鉱産業の町並みが当時の状態で残されている住宅街

三井美唄炭鉱 炭鉱住宅街

No.1003

2024年02月20日更新

1963(昭和38)年に三井美唄炭鉱が閉山され、生産施設などの撤去が進められたが、炭鉱住宅などを市営分譲によって民間企業や個人に安価で払い下げられたため、現在も炭鉱産業の町並みがまとまって残されている。炭鉱職員住宅は、職務階級によって甲乙丙丁の4種類で区分されており、閉山時、甲種2棟、乙種15棟、丙種42棟及び丁種103棟が残されていた。ほとんどの住宅が木造平屋建て1棟2戸であったが、甲種は所長が利用するような最大規模の独立住宅であり、木造2階建ての玄関脇に西洋間の応接室が配置されている。これらの住宅は近代北海道を築く基となった炭鉱産業の歴史遺産として保存が図られている。

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